信託 中條レポートNo278

「家族信託」「個人信託」等の名前で呼ばれる制度。最近では普及が進み様々なところで提案されるようになりました。

信託の始まりは十字軍です。十字軍の兵士は、戦地に行くと故郷に残した家族と連絡がとれません。残された家族では、兵士の財産を上手に使うことが出来ない。
信託は故郷に残した財産を家族のためにどのように使うか悩む兵士のために出来た制度です。

兵士が故郷にいる資産管理運用に長けた信頼できる人に財産を託す(預ける)のです。託された人が、兵士の家族のために財産を活用していきます。そのためには託された人は、託された財産を自分の財産と同様に運用・処分出来ることが必要です。
その権限を与えるために出来た制度が「信託」です。
制度の根幹は「信じて」「託す」ことなのです。

お父様が将来施設に入りたい。施設に入るときはお金が必要。その時、お父様名義の自宅を処分する必要がある。でもその時お父様が認知症で意思能力が衰え、自宅を売却出来なくなったらどうしよう。成年後見制度を利用するのは大変そうだ。

こんな悩みを持つ方の利用が増えています。
お父様が長男に自宅を「信じて」「託し」ます。
自宅の売却が必要になったら、長男が自宅を売却し、お父様の施設費用を捻出します。

子供がいない「本家」の長男。自分が亡くなった後、妻の生活のために、妻に財産を残したい。しかし、妻が死亡すると財産の四分の三は妻の兄弟へいってしまうのは困る。妻が死亡したら財産を弟(又は弟の子)に相続させ本家を守って欲しい。

こんな悩みの方が信託を利用します。
長男が弟(又は弟の子)に財産を「信じて」「託す」のです。
長男が亡くなったら、財産を長男の妻のために活用します。長男の妻が亡くなったら弟(又は弟の子)が財産を取得し本家を引き継ぎます。

信託には上記の他にも様々な利用方法があります。
どの利用方法でも一番肝心なのは「信じて」「託す」お互いの信頼関係です。

遺贈寄付のすすめ 中條レポートNo277

寄付という行為は、日本ではまだあまり馴染みがないかもしれません。
寄付のなかで死後に寄付する、遺贈寄付という方法を今回とりあげます。

遺贈寄付とは、今すぐにお金を寄付するのではなく、亡くなった時に遺産の一部を寄付する方法です。もちろん、生前のお財布からお金が出て行くわけではありませんが、寄付したという満足感を得ることができます。お金が減らないのに、寄付した気分になれるなんて、ちょっと得した気分ですね!

寄付に馴染みがない方にとって、一番難しいのは「寄付先を決めること」です。以下のような点を考慮するとよいでしょう。

遺贈寄付を考える際のポイント
・どの分野に寄付をしたいか
・寄付先の団体が自分の死後も存在するかどうか
・寄付が自分の意図通りに活用されるか

寄付するには大きなお金が必要と思われがちですが、そんなことはありません。少額の寄付でも、寄付先の団体は喜びますし、複数の団体にわけて寄付することも可能です。

・遺贈寄付を始めるために

遺贈寄付を検討し始めたら、まずは情報収集が大切です。寄付したい団体の活動を見学したり、どのような取り組みをしているかを調べてみましょう。その後、実際にその団体の活動に参加することで、さらに応援する気持ちが高まるかもしれません。

遺言書は何度でも書き換えられます。もし寄付先が変わったり、寄付の意図が変わった場合も、遺言書を書き換えれば対応できます。

・専門家への相談

最後に、遺贈寄付を実現するためには、事前に寄付先との確認が必要です。遺言書を書いたものの、遺贈先が受け取れない場合や、受け取れない財産の種類がある場合があります。そのため、専門家への相談は欠かせません。

無常に生きる 中條レポートNo276

「無常に生きる」に関することが述べられて文章です。「相続」「後見」の実務に携わっていると、共感することが有りますので紹介させて頂きます。
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「無常に生きる」とは、仏教における根本的な概念である「諸行無常」から派生した生き方を指します。諸行無常とは、全てのものが絶えず変化し、固定された状態は存在しないという考え方です。この概念は、執着や欲望を抑え、変化を受け入れることで、より安定した心と生き方を実現するためのものです。

無常に生きることの利点は多岐にわたります。まず、執着を減らすことによって、心の負担を軽減できます。物や人、状況への固執を減らすことで、心に余裕が生まれ、他者との関係も良好になります。また、変化を受け入れる柔軟性を持つことで、予期せぬ出来事や困難な状況に対処しやすくなります。人生は常に変化し続けるため、この柔軟性はストレスを減らすのに役立ちます。

さらに、無常に徹して生きることは、今この瞬間を大切にすることにもつながります。未来への不安や過去の後悔にとらわれず、現在を楽しむことで、人生の充実感を高めることができます。これは、マインドフルネスの考え方と通じるものであり、心の安定をもたらすとされています。

最後に、無常を理解することで、慈悲と共感の心が育まれます。他者も同じように無常の中で生きていると認識することで、他者に対する寛容さや共感力が高まります。これにより、人間関係が円滑になり、コミュニティ全体の調和を生み出すことが可能です。

総じて、「無常に生きる」とは、執着を減らし、変化を受け入れ、今を大切にし、他者への共感を育む生き方です。この考え方を実践することで、心の安定と人生の充実感を得ることができ、他者との関係もより良好なものとなるでしょう。
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「相続」「後見」の業務では予期せぬことが往々にしておこります。
人の心は無常であることを受け入れることで、相手を理解でき出来ます。
そして無常だから今を生きるしかないことに気付きます。

無常を理解することで、自身の心に安定をもたらしてくれます。
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謙虚になる方法

人間が謙虚になるための、手近な、そして着実な道は、
まず紙屑をひろうことからでしょう。
[ 森信三 一日一語 ] より

物事の見方

すべての物事の長短を冷厳に見て、しかも固定化せぬこと。
しかも流動のままとらえつつ、流されないように・・・。
[ 森信三 一日一語 ] より

                             流儀

暗室に入ったように、周囲の様子が見え出すまでは、じっとして動かない。・・・
これが新たな環境に移った場合のわたくしの流儀です。
[ 森信三 一日一語 ] より

         積み重ね

 同僚より五分前に出勤する心がまえ・・・
それが十年も積み重ねられたとき、いつしか大きなひらきとなる。
[ 森信三 一日一語 ] より

         責任感

実践の中心は責任感である。
男らしさとは、つよい責任感をもつことである。
[ 森信三 一日一語 ] より

相続分の譲渡 中條レポートNo275

「相続分(※)って譲渡できるの?」 ※民法で定められた相続分のことです。
答えは「できます」です。

譲渡は有償でも無償でも構いません。譲渡する当事者は、相続人間であっても、他人(相続人でない人)でも可能です。

譲渡を受けた人は、他の相続人と譲り受けた相続分で(相続人は自身の相続分に譲り受けた相続分を加えて)遺産分割を行います。

一見不思議に思えるかもしれませんが、他人も相続人と遺産分割を行うことが可能です。

それでは、相続分の譲渡が行われる状況とは何か。例えば以下のような場合が考えられます。

自分の相続分を引き継ぐべき人に譲りたい場合。
相続手続きに時間がかかると予想される場合、少額でも先に受け取りたい。
面倒な手続きに巻き込まれたくない(相続手続きからの離脱を望む)。
多数の相続人がいて争いが生じてる場合、特定の相続人だけで裁判所に持ち込みたい。

相続手続きに関わりたくない場合、相続分の譲渡の他に、家庭裁判所で行う相続放棄という方法もあります。しかし、相続分の譲渡と相続放棄では、他の相続人に対する影響が異なります。例えば、相続放棄した場合、その相続人の権利は他の相続人に相続分の割合で移り、特定の人に譲渡することはできません。また、相続放棄をすると、財産は一切受け取れません。

また、税金に関しても注意が必要です。特に相続人以外への譲渡の場合、税務処理が複雑になることがあります。思わぬ税金が課税されることもあるので、実行する場合は税理士と綿密な打ち合わせが必要です。

相続分の譲渡は、状況に応じて適切に利用されるべきです。専門家との相談を通じて実行することをお勧めします。

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残生

筆はちびる直前が一番使い良く、肉は腐る寸前が一番うまい。
同様に今後恵まれるわずかな残生を、
衷心より懼れ慎んで、「天命」に随順して生きたいと思う。
[ 森信三 一日一語 ] より

孤独寂寥

人に長たる者は孤独寂寥に耐えねばならぬ。
[ 森信三 一日一語 ] より

読書

読書は実践への最深の原動力
[ 森信三 一日一語 ] より

物にもたれる人間

物にもたれる人間は、
やがて人にもたれる人間になる。
そして人にもたれる人間は、
結局世の中を甘く見る人間になる。
[ 森信三 一日一語 ] より

自分を育てる

自分を育てるものは結局自分以外にはない。
これ恵雨芦田恵之助先生の至言。
[ 森信三 一日一語 ] より

養子 中條レポートNo274

「養子は実子がいる場合は一人しか縁組出来ない」
これは相続税を計算するとき基礎控除を計算するときに、参入できる養子の数のことです。

基礎控除とは相続財産から控除できる金額です。
計算式 3000万円+相続人の数×600万円)

財産額から基礎控除を引いた金額で相続税を計算します。ですから基礎控除以下であれば相続税は課税されません。また、相続税額の計算の仕組み上、相続人の数が多いと相続税が減ります。
例えば、相続人が子一人、遺産総額1億円の人に養子一人を入れると相続税が450万円減額されます。

それに対し、民法上は養子の数に制限がありません。何人でも大丈夫です。
しかし養子縁組を安易に考えてはいけません。
法律上といえども、子供をつくることになります。相続財産に対して権利を持つ人になるからです。将来の遺産分割に支障が出ることもあります。

父親の養子に自身の子供(父親から見れば孫)をする。

相続税対策(上記で説明した効果)や遺留分対策(相続人を増やすことで、他の相続人から請求される遺留分を減らす)でよく行われることです。
しかし、自身の子供と法律上兄弟になります。将来の相続争いに子供を巻き込むことにもなりかねません。

養子縁組はするのは難しいことではありません。
証人二人が必要ですが、養親、養子が共同して市役所に申請します。紙一枚の届け出ですみます。(未成年者を養子にする場合は家庭裁判所の許可が必要な場合有)本人が市役所へいけなくても代理でもできます。(後日本人に確認の手紙がいきます)

簡単にできてしまうため、相続対策で安易におこなってしまいがちです。
養子縁組の本来の意味は子のない夫婦が、家を守るために出来た制度だと思います。実行するときは家全体の幸せを考え行うことが肝要です。

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出会い 

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早すぎず、
一瞬遅すぎない時に・・・。
[ 森信三 一日一語 ] より

報恩と奉仕

 人間として最も意義ふかい生活は、
各自がそれぞれ分に応じて報恩と奉仕の生活に入ることによって開かれる。
[ 森信三 一日一語 ] より

 信

信とは、いかに苦しい境遇でも、
これで己の業が果たせるゆえんだと、
甘受できる心的態度をいう。
[ 森信三 一日一語 ] より

 建国記念日

今日は建国記念日。これについては反対の説もある様であるが、米国などのように、歴史の浅い国では実証的な建国資料もあるが、我が国のように長い歴史をもつ国ではそれは不可能である。そこでは立場は二つ。科学的に正確な資料がないから放って置くか、それとも、民族の伝承に従って慶祝するかという二種の立場がありうるが、私は後者の立場に賛したい。

[ 森信三 一日一語 ] より

お一人様対策 中條レポートNo273

「誰にも迷惑をかけずに死んでいきたい」というのは、お一人様からよく聞く言葉です。ここでいう「お一人様」とは、配偶者や子供がおらず、または疎遠になっている状態で、兄弟姉妹や甥姪などの親族とも疎遠になっている人々のことを指します。

しかし、何も準備をしなければ、実際には迷惑がかかることになります。

例えば、お一人様が倒れた場合、関係者は親族を探します。また、意思能力の衰えにより成年後見制度が必要になった際には、親族を探し協力を求めます。亡くなる前の延命治療の可否、相続手続も同様です。ですから、何も準備しないと迷惑がかかるのです。

しかし、迷惑をかけずに済む方法があります。

それは、成年後見制度の任意後見契約を締結し、意思能力が衰えた後のことを信頼できる人に託すことです。意思能力が衰える前も、様々な事務を依頼するために事務委任契約を結びます。亡くなった後の面倒な事務処理も、あらかじめ委託しておくことが大切です。財産の配分については、死後事務では行えないため、遺言書を作成する必要があります。また、延命治療の可否については、自分で意思表示ができなくなることに備え、尊厳死宣言を行うことが重要です。

事務委任契約、任意後見契約、死後事務委任契約、遺言、尊厳死宣言。これらを適切に行うことで、「誰にも迷惑をかけずに死んでいく」という目標をほぼ達成することができます。

最近では、お一人様対策に特化した様々なコンサルタントが現れています。上記の例は、任意後見を中心としたコンサルタントの提案です。その他にも、身元保証を中心とした契約組み合わせのコンサルタントや、信託を中心としたコンサルタントなど、多様な選択肢が存在します。

少し前までは、このような分野はあまり存在しませんでした。しかし、長寿化と少子化の社会においては、このようなサービスが必然的に必要とされるようになったのでしょう。

大切なのはそれぞれのお一人様に合ったコンサルティングを提案することです。そして、その人らしく、安心して生活できる環境を整えることです。

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立志の詩

「天地終始なく人生生死あり」
・・これは頼山陽の十三歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、
これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかが
我われの問題です。
[ 森信三 一日一語 ] より

“わが身に刻み込めるか”です。

迷い・悟り

悟ったと思う瞬間、即迷いに堕す。
自分はつねに迷い通しの身と知る時、
そのまま悟りに与かるなり。
[ 森信三 一日一語 ] より

信とは、人生のいかなる逆境も、
わが為に神仏から与えられたものとして
回避しない生のの根本態度をいうのである。
[ 森信三 一日一語 ] より

五分

五分の時間を生かせぬ程度の人間に、
大したことは出来ぬと考えてよい。[ 森信三 一日一語 ] より

人より先に

「朝のアイサツは人より先に!!」・・・
これを一生つづけることは、人として最低の義務というべし。
[ 森信三 一日一語 ] より

天道と人道 中條レポートNo272

二宮尊徳翁のことを記した「二宮翁夜話」(致知出版社)からです。

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天には善も悪もないのであって、善悪は人道で立てたものだ。たとえばいろいろな草木に、どうして善悪があろうか。それを人間から見て、米を善、葉草を悪としている。食物になるかならないかで区別するからだ。天地は決してそんな区別をしない
<中略>
そもそも人間は米食い虫だ。この米食い虫の仲間で立てた道は、衣食住になるべきものを増殖するのを善とし、この三つのものを損害するものを悪と定めている。人道でいうところの善悪は、これを定規とするのだ。

この定規に基づいて、人間のために便利なことを善とし、不便なものを悪として立てたのが人道なのだから、人道が天道と別個なことはいうまでもない。けれでも、天道に背反するというのではない。天道に従いながら、違うところがあるのが人道なのだ。

また次のようにも言っています。

世界のうちで法則とすべきものは、天地の道と、親子の道と、夫婦の道と農業の道との四つだ。
天が生命の根源の徳をくだせば、地はこれを受けて万物を発生させる。親は子を育てるのに損得を忘れて、ひたすらに成長を楽しむし、子は育てられて父母を慕う。夫婦の間でもお互いが楽しみ合って子孫が相続する。農夫は勤労し植物の繁栄を楽しみ、草木はまたよろこんで繁茂する。

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「天道に従いながら違うものがあるのが人道」

この言葉は意味が深いです。人が生活を営もうとすると、天道と違ってしまうことがあるのは避けられません。しかし根本的なところで天道に背いてはいけないということだと思います。

続く、四つの法則はシンプルで、全てのことがこの法則に当てはまると思います。

一日の終わりに、今日あった出来事を振り返りこれらのことを考える時間を持ちたいものです。それが明日への第一歩になると思います。

共有 中條レポートNo271

日本の法律では、所有権は非常に強力なものとされてきました。

例えば、所有者がゴミ屋敷を作るなど、周囲に迷惑を及ぼす場合でも、所有権の絶対性から簡単には対処できなかったのです。ゴミであっても、所有者の承諾なしに廃棄処分することはできません。

しかし、所有権がいかに強固であっても、他人に迷惑を及ぼす行為には制限を加えるべきとの考え方が近年強まり、法改正が進んでいます。その一環として、今年の4月1日に施行された民法の共有に関する改正があります。

共有者の一人が行方不明である場合、売却を希望してもどうすれば良いのか、多くの人が悩んでいます。

これまでは、行方不明者の財産を裁判所が指名した管理人が管理し、その後、不動産の売却許可を得るための裁判を経る必要がありました。この方法では、管理人はその行方不明者の財産を全て管理する必要がありました。
今回の法改正により、共有不動産のみの処分を裁判所が許可することが可能になりました。

これは相続にも影響を及ぼします。共有者の一人が亡くなり、相続人の中に行方不明者がいる場合、その相続が開始して10年が経過した後、上記の同様の手続きで売却が可能になりました(一定の制限はあります)。

所有権に対する他の制限も追加されました。
例えば、隣地の枝木が自分の敷地に越境している場合、催告の後に自身で切ることができるようになりました。
また、給排水を私道から引くための工事を行う場合、私道の所有者の許可なく、通知を行うことで工事が可能になりました。

「自分の持ち物だから自分の好きにできる」
という概念に大きな変化が進んでおり、今後もこの傾向は続くと思われます。しっかりウオッチしていきたいと思います。

 

もう一人の自分 中條レポートNo270

相続争いの中にいると周りが見えなくなることがあります。
そんな時、自分自身を客観的な目でみることは有用です。

しかし「言うは易し、行うは難し」。
そんな場面でヒントになるかもしれない言葉がありましたので紹介します。
内容は「素直になること」と「もう一人の自分」の助けをかりることです。

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素直になることの重要性

自己受容:素直になることは、自分の弱点や限界、感情を受け入れることを意味します。これにより、自己理解が深まり、内面の成長につながります。

内なる声の聴取:自分の内なる声や、もう一人の自分からのアドバイスを素直に聞くことで、より深い自己認識と直観を育むことができます。

自己成長の促進:自分自身に対する正直な評価と、もう一人の自分からの指摘を受け入れることで、自己成長の道を開くことができます。

素直になるためのアプローチ

感情の受け入れ:自分の感情をありのままに受け入れることから始めます。自己否定ではなく、自己受容の姿勢が大切です。

内省と自問自答:「なぜこの事柄に抵抗を感じるのか?」や「どの部分が自分にとって不快なのか?」と自問してみることで、素直になることへの理解が深まります。

非防衛的な姿勢:もう一人の自分からのアドバイスを受け入れる際は、防衛的にならず、オープンな姿勢で臨むことが大切です。

誠実な対話:自分自身との対話においては、誠実で正直な態度を保つことが重要です。

素直になることは、自己の真実に近づくことでもあります。もう一人の自分との対話を通じて、より深い自己理解に至り、内面からの成長を遂げることができます。

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ここで言っている「もう一人の自分」とは。
自分自身の成長を純粋に願っている人であることだけは間違いありません。
不思議なお話ですが、妙に納得感がありましたので今回ご紹介させて頂きました。

任意後見制度 中條レポートNo269

後見制度には二つの柱がありますが、ここで述べるのは任意後見制度です。

この制度の特徴は、「元気なうちに(意思能力がしっかりしているうちに)、自身が選んだ人に、意思能力が衰えた後のことを託す」という点です。
この取り決めを行うために、本人と託された人が結ぶ契約を「任意後見契約」と言います。

意思能力が衰えた際に、自分が選んだ人に、自分の代わりに預金の出し入れや不動産の売買等の法律行為を行ってもらうためには、家庭裁判所に自身が選んだ人を監督する監督人を付けてもらう必要があります。監督人には、弁護士や司法書士がなります。

しかし、任意後見契約後、意思能力が衰えても監督人が指定されず、任意後見が始まらないことが多いのが現状です。

何故任意後見を始めないのか。
・監督人に報告を行うのが面倒だから。監督人は家庭裁判所への報告義務があるため、家庭裁判所が間接的に関与し、窮屈感がある。
・監督人を付けると、その監督人に支払う費用がかかる。(この費用は本人のお金で支払います)
これらが主な理由です。

任意後見契約を結ぶとき、意思能力が衰えるまでの期間、本人の様々な法律行為を本人の代わりに行う事務委任契約を結ぶことが一般的です。この事務委任契約により、意思能力が衰えた後でも日常のことは何とかなるため、「わざわざ面倒で費用がかかる監督人を付けて任意後見を始める必要があるのか?」という疑問が生じるのです。

これが任意後見を始めない大きな理由です(法律的には正しくないです)。もちろん、不動産の売買等の重要な法律行為は、任意後見を始めないと出来ません。

法務省はこれを問題視し、任意後見が適切に始まるよう対策を講じています。教科書的には法務省の指針が正しいのでしょう。しかし、現場がそれに順応していません。

成年後見制度は過渡期にあり、実務運用が変化しています。地域によっても対応は異なります。今後の動向から目が離せません。