相続分の譲渡 中條レポートNo275

「相続分(※)って譲渡できるの?」 ※民法で定められた相続分のことです。
答えは「できます」です。

譲渡は有償でも無償でも構いません。譲渡する当事者は、相続人間であっても、他人(相続人でない人)でも可能です。

譲渡を受けた人は、他の相続人と譲り受けた相続分で(相続人は自身の相続分に譲り受けた相続分を加えて)遺産分割を行います。

一見不思議に思えるかもしれませんが、他人も相続人と遺産分割を行うことが可能です。

それでは、相続分の譲渡が行われる状況とは何か。例えば以下のような場合が考えられます。

自分の相続分を引き継ぐべき人に譲りたい場合。
相続手続きに時間がかかると予想される場合、少額でも先に受け取りたい。
面倒な手続きに巻き込まれたくない(相続手続きからの離脱を望む)。
多数の相続人がいて争いが生じてる場合、特定の相続人だけで裁判所に持ち込みたい。

相続手続きに関わりたくない場合、相続分の譲渡の他に、家庭裁判所で行う相続放棄という方法もあります。しかし、相続分の譲渡と相続放棄では、他の相続人に対する影響が異なります。例えば、相続放棄した場合、その相続人の権利は他の相続人に相続分の割合で移り、特定の人に譲渡することはできません。また、相続放棄をすると、財産は一切受け取れません。

また、税金に関しても注意が必要です。特に相続人以外への譲渡の場合、税務処理が複雑になることがあります。思わぬ税金が課税されることもあるので、実行する場合は税理士と綿密な打ち合わせが必要です。

相続分の譲渡は、状況に応じて適切に利用されるべきです。専門家との相談を通じて実行することをお勧めします。

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残生

筆はちびる直前が一番使い良く、肉は腐る寸前が一番うまい。
同様に今後恵まれるわずかな残生を、
衷心より懼れ慎んで、「天命」に随順して生きたいと思う。
[ 森信三 一日一語 ] より

孤独寂寥

人に長たる者は孤独寂寥に耐えねばならぬ。
[ 森信三 一日一語 ] より

読書

読書は実践への最深の原動力
[ 森信三 一日一語 ] より

物にもたれる人間

物にもたれる人間は、
やがて人にもたれる人間になる。
そして人にもたれる人間は、
結局世の中を甘く見る人間になる。
[ 森信三 一日一語 ] より

自分を育てる

自分を育てるものは結局自分以外にはない。
これ恵雨芦田恵之助先生の至言。
[ 森信三 一日一語 ] より

得るは捨つるにあり(パート2) 野口レポートNo331

人は長い人生のなかで窮地に立ったり、決断を迫られることがあります。それがいつ来るか分かりません。財産や地位や見栄など思い切って捨てる覚悟ができれば光がさしてきます。

いま国会が裏金問題で揉めています。何か不祥事があると議員辞職が話題になります。いさぎよくバッジを捨て、心を改め精進すれば「みそぎ選挙」で勝機も出てくるというものです。

相続で譲った人が幸せになる、この不思議な事実も「捨てる(譲る)から得られる」のではないでしょうか。

地主の貸宅地の経営は、雨漏りやリフォームの必要もなく、適切な地代や更新料を取っていたら悪い商売ではありません。が、相続税を考えると、資産のように見える負債です。貸宅地の相続税を地代から取り戻すには何年かかるでしょうか、やっと取り戻したと思ったら次の相続が忍び寄っています。思い切って生前に整理をしておけば結果として財産を残すことができます。

〇〇製薬のサプリメントが社会問題になっています。お金を使い美味しい物をたくさん食べる。コレステロールが上がる。お金を使いサプリで下げる。スリムな身体や健康を得るには「腹八分目」、飽食を捨てることです。「あんな思いをするなら太ったままでいい」数年前に無理なダイエットで九死に一生を得た女性の言葉です。

近年、世の変遷はすさまじいものがあります。我々高齢者は時代の変化に心がついていきません。心にも「老眼鏡」をかけ、古いものを捨て、新たなものを受け入れる心構えが必要です。

朝ドラ「ブギウギ」が終わりました。最終回の東京ブギウギは圧巻でした。主演を務めた俳優の趣里さんは、「笠置シヅ子」を見事に演じてくれました。俳優と歌手を両親に持つ天性の血筋を感じます。

戦後の世の中を歌と踊りで明るくしてくれた大スター歌手の笠置シヅ子さん、40歳の若さで歌を捨てることを決断し歌手を引退しました。惜しまれてやめる見事な引き際でした。

時は平成5年になります。30年間続けてきたG S(ガソリンスタンド)も老朽化が目立ち、大改装を施しこのまま続けるか、閉店するか、苦渋の決断を迫られました。

自分の歳(48歳)からして転業するにはラストチャンス、思い切って閉店を決断しました。まだ惜しまれてやめられた時期でした。もし5年遅かったらこの決断はできなかったでしょう。

当時はこの狭い地域に8店舗ものG Sがひしめいていました。最初に閉店を決断したのは私のところでした。30年の間に歯が抜けるように7店舗が閉店し、かろうじて1店舗が残っています。

あのまま続けていたら自分の人生はどうなっていたか、考えるとゾッとします。思い切って捨てたから今があるのです。

人生で決断を迫られた時、にっちもさっちも行かなくなった時、「得るは捨つるにあり」この言葉を思い出してください。