自己を忘れる 中條レポートNo175

「自己を忘れる」道元禅師の教えを学ぶ機会がありました。
自己を はこび 万法を修証するを 迷いとす。
万法すすみて 自己を修証するは 悟りなり。

頭で考えて(自己をはこび)答えをだそうとすると、自分の都合のよい答えしか出てこず迷いから抜けられません。
ある程度考えたら、自己を忘れて答えをだす(万法すすみて、自己を修証する)。その答えが、物事を本質的に解決する答え(悟り)であるということです。

頭で考えると自我が邪魔をします。無意識に自分の都合のよい答えを導こうとします。目先の解決にはなるかもしれませんが、本質的な問題は解決しません。

この自我を除いて答えをだす方法が、自己を忘れることです。
自己を忘れるとは、考えることを止めることです。
そのとき、浮かび上がってくる答えこそ、問題を根本から解決するための答えです

しかし考えることを止めるのは簡単なことではありません。人は、年がら年中、頭の中で何かを考える癖がついているからです。
この癖をとる方法が瞑想や座禅です。休みなく働いている「頭」に少し休息をとらせてあげられたらという気持ちで取り組んでみてはいかがでしょうか。

それでは相続争いをしている人の「頭」の中を覗いてみましょう。
自我に執着した考えが、怒涛のように駆け巡っています。答えは必然的に自己中心的になっていきます。一番の問題はそこに気が付いていないことです。

遺産分割をまとめるためには、本人が自我に囚われた考えだということに気が付くことです。そうしないと裁判所のお世話になりかねません。
しかし、相続争いをしているときに上記のようなお話をしても.....。

そんなとき「自我に囚われた考え」だと気が付いてもらう役割を果たすのが相続コンサルタントです。
説得するのではありません。気が付いてもらうのです。
気付いてもらえるかは、コンサルタントの人間力にかかってきます。

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