因果というものは厳然たる真理です。
それゆえ如何にしてかかる因果の繋縛を超えるか。
結局はその理を体認透察することであるが、現実には後手に廻らぬこと。
つまり常に先手、先手と打ってゆくことである。
[ 森信三 一日一語 ] より
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遺書
みすずかる信濃の宿のひと室に遺書をかくがに書かき暮す
肉むらの朽ちはてむとき自が書の命かそけく呼吸づくらむか
[ 森信三 一日一語 ] より
「救い」
「救い」とは「自分のような者でも、尚ここにこの世の生が許されている」・・・
という謝念でもあろうか。
そしてその見捨てない最後の絶対無限な力に対して、
人びとはこれを神と呼び仏と名づける。
[ 森信三 一日一語 ] より
真の浄福
心の通う人とのいのちの呼応こそ、
この世における真の浄福であり、
人間にとって真の生甲斐といってよかろう。
[ 森信三 一日一語 ] より
比較
善悪・優劣・美醜などは、すべて相対的で、
何ら絶対的なものではない。
何となれば、いずれも「比較」によって生まれるのであり、
随って尺度のいかんによっては、逆にもなりかねないからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
肩書
人間は退職して初めて肩書の有難さがわかる。
だが、この点を率直に言う人はほとんどいない。
それというのも、それが言えるということは、
すでに肩書を越えた世界に生きていなければ出来ぬことだからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
出所・進退
公生涯にあっては、出所・進退の時機を誤らぬことが何よりも肝要。
だが相当な人でも、とかく誤りがちである。
これ人間は自分の顔が見えぬように、
自分のことは分からぬからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
流水不争先
「流水不争先」・・・
現世的な栄進の道を、アクセク生きてきた人が、
あげくの果てに開眼させられた一境地といってよかろう。
[ 森信三 一日一語 ] より
流水不争先
川を流れる水は、先を争って流れているように見えるが、高きから低きに流れているに過ぎない。 それを争い、競って、流れているように見えるのは、それを見ている人間の心に「争い事」の感覚が充満していて、目が曇っているからだ。
一剣を侍して起つ
「一剣を侍して起つ」という境涯に到って人は初めて真に卓立して、
絶対の主体が立つ。
甘え心やもたれ心のある限り、
とうていそこには到り得ない。
[ 森信三 一日一語 ] より
随所作主
「随所作主」とは、人はどんな境遇の中にあっても、
リンリンとして生きてゆける人間になることでしょう。
[ 森信三 一日一語 ] より

