分を知る

分を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。
随って人間も分を自覚してから以後の歩みこそほんものになる。
だが才能ある人ほど、その関心が多角的ゆえ、
「分」の自覚に入るのが困難であり、かつ遅れがちである。
[ 森信三 一日一語 ] より

名利

名利の念を捨てることは容易ではないが、それはとにかくとして、
少なくとも名利というものが
絶対的でない事を知らせて下すった方こそ、
真に「開眼」の師というべきであろう。
[ 森信三 一日一語 ] より

肚をすえる

肚をすえるという事は、
裏返えせばすべて神まかせという事でもある。
だが単に神まかせというだけでは、まだ観念的であって、
よほどそれに徹しないとフラつきやすい。
[ 森信三 一日一語 ] より

同悲の人の心

天下同悲の人の心をおもう。
石不言
花不語。
[ 森信三 一日一語 ] より

「天下同悲の人の心をおもう」
世の中の奥底に流れる共通の悲しみや苦しみを敏感に感じ取り、それを持つ人間の心に深い共感と理解を向けること。

「石不言 花不語」
そして、その共感や理解のあり方を「石」や「花」の静かで無言の存在から学べ、と示唆していると考えられます。

石は動かず、花はただ静かに咲いている。それらは、何も言わず、判断もせず、ただそこに「ある」という存在そのもので、万物を受け入れています。

本当に深い共感とは、言葉で慰めることや解決策を提示することではなく、ただ相手の悲しみや存在を「石のように不動の心で、花のように静かに」受け入れ、共に在ることではないでしょうか。

 

 

因果

因果というものは厳然たる真理です。
それゆえ如何にしてかかる因果の繋縛を超えるか。
結局はその理を体認透察することであるが、現実には後手に廻らぬこと。
つまり常に先手、先手と打ってゆくことである。
[ 森信三 一日一語 ] より