60年前、父親の入院でピンチに追い込まれた家業のGスタンドを、大学1年で中退し、無我夢中で支えたことは以前お話しましたが、その陰には苦境を共に乗り越えてくれた人の存在がありました。
当時19歳の私より5歳年上のEさんです。事情を察した上で会社に入ってくれました。自分に本当に必要な人との出会いは、少しも早くなく遅くなく、絶妙なタイミングで訪れます。
日曜日も休まず朝早くから夜遅くまで働きました。売掛金回収も大事な仕事です。回収できなければ、こちらが倒産してしまいます。海産運送業の荒くれ業者から、担保になっているオート三輪を命がけで押さえ、このガキ(当時未成年)がと、手鉤を振り上げられたこともありました。家業の立て直しが青春の全てでした。
これら修羅場を通し培ってきた、精神力と忍耐力は、今の相続の仕事に役立っています。家業も持ち直し、長期入院していた父親も健康を回復し仕事に復帰しました。息子(私)の成長を見極めたEさんは、自分の役目は終わったと、自ら身を引き去っていきました。
その後Eさんは数回転職を繰り返しました。奥様はひたすら家計を切り詰め陰で支えました。元来器用で働き者のEさんは、土木業を立ち上げました。誠実な人柄と丁寧な仕事ぶりで、工務店の信頼を集め事業も順調に発展、自宅を建てるまでになりました。
連帯保証人だけにはなるなと、口癖のように言っていた父親が、この時は二つ返事で引き受け、自分のことのように喜びました。
Eさんは、子供の教育と躾には特に厳しく、「成人したら、親を頼らず自分の力で生きること!」が口癖でした。
3人の子供たちは立派に成長し、各分野で活躍しています。厳しくも丁寧な子育ては、私たち夫婦にとって常にお手本でした。
屈強な身体の持ち主が不調を訴え、直腸ガンと診断され手術を受けました。開腹してみると、ガンはすでに転移し、手遅れの状態でした。家族は主治医から余命を告げられました。奥様からの電話に、私は言葉が見つかりませんでした。
Eさんは強い精神力の持ち主です。生きる意欲を失わず、退院すると現場に復帰し仕事に取組みました。どこからそんな力が出てくるのか、医師の宣告が信じられませんでした。
1年後に再入院、見舞うと「賢ちゃん、ありがとうね」と必ず言ってくれました。面会の度に体重も減っています。家族も別れが近いことを察しました。最期は自宅に戻り、奥様に看取られ安らかに旅立っていきました。享年63歳、私には兄のような存在でした。
Eさんは、自分の力で財を築きました。その後ろ姿を見て育ってきた子供たちには、親の財産を当てにするとの発想がなく、相続争いなど無縁です。相続は親の「子育ての集大成」であると改めて感じました。出会いも人生、別れも人生、されど辛い別れでした。Eさんの恩は生涯忘れることができません。

