哲人といえども迷う時はあろう。
だが迷う時間が短かろう。
悟った人でも迷うことはある。
しかし迷う時間が短い。
[ 森信三 一日一語 ] より
迷うのが問題ではなく、
迷って行動出来なくなることが問題です。


哲人といえども迷う時はあろう。
だが迷う時間が短かろう。
悟った人でも迷うことはある。
しかし迷う時間が短い。
[ 森信三 一日一語 ] より
迷うのが問題ではなく、
迷って行動出来なくなることが問題です。
わが身に降りかかった悲痛事に対して、
その何ゆえか(WHY)を問わない。
それよりも如何に(HOW)対処すべきかが大切。
[ 森信三 一日一語 ] より
WHYを考えても前にすすみません。
わが身にふりかかる事はすべてこれ「天意」・・・
そしてその天意が何であるかは、
すぐには分からぬにしても、
噛しめていれば次第に分かってくるものです。
[ 森信三 一日一語 ] より
噛みしめていれば…..。
ここが大切ですね。
「世の中は正直」とは、
神は至公至平・・・というに近い。
[ 森信三 一日一語 ] より
”なるほど”
と思わざるをえません。
すべて物事は、
その事の真髄への認識と洞察が根本で、
真に認識に徹したら、動き出さずにはいられぬはず。
ところで認識への手引きは
ヤハリ生きた書物でしょうね。
[ 森信三 一日一語 ] より
生きた書物とは……。
わたくしには何も出来ませんが、
ただ人さまの偉さと及び難さを感じる点では、
あえて人後におちないつもりです。
[ 森信三 一日一語 ] より
「腰骨を立てる」ことは、
エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。
この一事をわが子にしつけ得たら、
親としてわが子への最大の贈り物といってよい。
[ 森信三 一日一語 ] より
「腰骨を立てる」
大切です。
「五十にして天命を知る」・・・というが、
知という限り、まだ観念的なものが残っている。
それ故「六十にして耳順う」の境に到ってはじめて
真理の肉体化がはじまるともいえよう。
[ 森信三 一日一語 ] より
六十になりましたが、まだまだです。
「下学して上達す」・・・
下学とは日常の雑事を尽すの意。
それゆえ日常の雑事雑用を軽んじては、
真の哲学や宗教の世界には入りえないというほどの意味。
[ 森信三 一日一語 ] より
日々の雑事を疎かにしてはなりません。
朝起きてから夜寝るまで、
自分の仕事と人々への奉仕が無上のたのしみで、
それ以外別に娯楽の必要を感じない・・・というのが、
われわれ日本人のまともな庶民の生き方ではあるまいか。
[ 森信三 一日一語 ] より