比較

善悪・優劣・美醜などは、すべて相対的で、
何ら絶対的なものではない。
何となれば、いずれも「比較」によって生まれるのであり、
随って尺度のいかんによっては、逆にもなりかねないからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

そのとおりです。
でも、比較から考えてしまいがちです。

自分のことは分からない

公生涯にあっては、出所・進退の時機を誤らぬことが何よりも肝要。
だが相当な人でも、とかく誤りがちである。
これ人間は自分の顔が見えぬように、
自分のことは分からぬからである。
[ 森信三 一日一語 ] より

一番わからないのが自分かもしれません。

過信

自己の力を過信するものは、
自らの力の限界を知らぬ。
そして力の限界が見えないとは、
端的には、自己の死後が見えぬということでもあろう。
[ 森信三 一日一語 ] より

頷ける言葉です。

真の宗教

いかに苦痛な人生であろうとも、
「生」を与えられたということほど大なる恩恵はこの地上にはない。
そしてこの点をハッキリと知らすのが、
真の宗教というものであろう。
[ 森信三 一日一語 ] より

宗教とは助けてもらうものではなく、
生き方を明確にしてくれるもの。

絶対必然

この地上には、一さい偶然というべきものはない。
外側からみれば偶然と見えるものも、
ひと度その内面にたち入って見れば、
ことごとく絶対必然だということが分る。
[ 森信三 一日一語 ] より

そうですね。
だから、全てを受け入れなければなりません。

雨ニモマケズ 中條レポートNo206

 原文                 現代語訳

雨ニモマケズ              雨にも負けず

風ニモマケズ              風にも負けず

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ        雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫ナカラダヲモチ           丈夫な体を持ち

慾ハナク                欲は無く

決シテ瞋ラズ              決して怒らず

イツモシヅカニワラッテヰル       いつも静かに笑っている

一日ニ玄米四合ト            一日に玄米四合と

味噌ト少シノ野菜ヲタベ         味噌と少しの野菜を食べ

アラユルコトヲ             あらゆることを

ジブンヲカンジョウニ入レズニ      自分を勘定に入れずに

ヨクミキキシワカリ           よく見聞きしわかり

ソシテワスレズ             そして忘れず

野原ノ松ノ林ノ陰ノ           野原の松の林の陰の

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ        小さな萱葺きの小屋にいて

東ニ病気ノコドモアレバ         東に病気の子供あれば

行ッテ看病シテヤリ           行って看病してやり

西ニツカレタ母アレバ          西に疲れた母有あれば

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ         行ってその稲の束を負い

南ニ死ニサウナ人アレバ         南に死にそうな人あれば

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ    行って怖がらなくてもいいと言い

北ニケンクヮヤソショウガアレバ     北に喧嘩や訴訟があれば

ツマラナイカラヤメロトイヒ       つまらないから止めろと言い

ヒデリノトキハナミダヲナガシ      日照りの時は涙を流し

サムサノナツハオロオロアルキ      寒さの夏はおろおろ歩き

ミンナニデクノボートヨバレ       みんなにでくのぼーと呼ばれ

ホメラレモセズ             褒められもせず

クニモサレズ              苦にもされず

サウイフモノニ             そういうものに

ワタシハナリタイ            私はなりたい


宮沢健治がクリスチャン斎藤宗次郎の生き方を見て作った詩です。

“自分を捨て、人の為に何かしている”
というよりも、
“そのままの斎藤宗次郎が、人の為になっている”
と、宮沢健治の目に映ったのではないでしょうか。

あるべき自分になろうとするのではなく、あるがままの自分が人を助ける。
「サウイフモノニワタシハナリタイ」
と思い作った詩のように感じました。

相続の目的は相続人の幸せ 野口レポートNo262

Aさん夫婦は数年にわたり、寝たきりの父親を在宅介護しました。父親のベッドにはナースコールがついています。尿意や不具合があると真夜中でも夫婦の部屋のブザーが鳴ります。24時間介護を強いられている夫婦の苦労は並大抵のものではありません。

父親の主な財産は自宅の土地建物です。父親は「全財産を長男Aに相続させる」との公正証書の遺言を作成していました。
父親は亡くなり、相続人はAさんと姉と弟の3人です。姉は嫁入り支度など生前贈与を受けています。弟も住宅資金の援助を受けています。

弟は「兄貴や義姉さんが親父の介護をしてくれた。自分と姉は何もしなかった。住宅資金の援助も親父から受けている。遺言は納得したから相続手続きを進めてほしい。」とのことでした。

ところが姉は「私にも権利がある」と、遺留分を主張してきました。遺言を執行したら遺留分減殺請求をすると言っています。Aさんは困ってしまい私のとこへ相談に見えました。

遺留分減殺請求の内容証明は宣戦布告と同じです。届いた瞬間に兄弟姉妹の縁は切れてしまいます。Aさんには遺言を放棄し、遺産分割の話し合いで自宅を相続することをアドバイスしました。こちらが一歩譲ったので姉も半歩引いてくれました。払える範囲の代償金で決着がつき、姉との関係も切れることなく今に至っています。

私の相続セミナーを受講し感動したBさんが、この先生ならと相談に見えました。推定相続人はBさんと姉の2人です。親の財産は預貯金と自宅、借金付アパート数棟です。

姉は何を思ったか親を取り込み、全財産を1人で相続すると言っています。父親に遺言を作る意思はありません。
Bさんは親の財産は相続しなければと思い込んでおり、姉のことで深刻に悩み、憂いた日々をモンモンと過ごしています。

話を聞いてみると、節税対策が優先され納税対策が置き去りにされています。このままでは相続税が払えません。難度の高い相続処理となります。姉は欲が邪魔して現実が見えません。

Bさんには子供がいません。固有財産もあり奥様と生活していく分には事足ります。独り占めすると言っているなら、あげてしまえば……。
相続から離脱し、相続人でなくなってしまえば一切の煩わしさから解放されます。選択肢に相続放棄がなかったBさんは目からウロコです。

Bさんの表情は、見るみる穏やかになりなりました。揉める相続から離脱してしまい、自分達の幸せを守ることも立派な相続対策です。
長年「禅」の修行を続けている司法書士N氏の言葉です。「譲ることは⇒問題が頭から離れ離脱することができる⇒離脱できれば穏やかな心でいられる⇒だから幸せになれる。」大いに納得しました。

相続の目的は「相続人の幸せ」です。相続で不幸になってしまったら意味がありません。相続は幸せになってナンボの世界です。相続人の幸せを心から考え、その相続問題の本質を見極め、相続人を幸せの道へ導いて差し上げる。相続実務で一番大切なことです。

如何に生きるか

人間の生き方には何処かすさまじい趣がなくてはならぬ。
一点に凝集して、まるで目つぶしでも喰らわすような趣がなくてはならぬ。
人を教育するよりも、まず自分自身が、
この二度とない人生を如何に生きるかが先決問題で、
教育というのは、いわばそのおこぼれに過ぎない。
[ 森信三 一日一語 ] より

いつもの森信三先生とはちょっと違うような…..。
ぞくっとくる言葉です。
凄みを感じます。

天意

わが身にふりかかる事はすべてこれ「天意」・・・
そしてその天意が何であるかは、
すぐには分からぬにしても、
噛しめていれば次第に分かってくるものです。
[ 森信三 一日一語 ] より

天意がわかるようになりたいものです。

丁寧に聴く 中條レポートNo205

先日の相続アドバイザー養成講座「遺産分割の実務要点」で学んだ、遺産分割協議に携わるときの基本姿勢です。

「各相続人の話を丁寧に聴く」
丁寧に聴くとは、自身の価値観、良し悪し、善悪、知識、経験等の自己の行動、経験等を頭から外して聴くことです。
過去の事実の存否を明らかにし、認識するが、その善悪、正邪を判断せず、これからどうすればよいかという未来志向型で携わる。

相続争いの特徴は争っている相手が第三者でなく親族だということです。
子供たちのために遺した財産で、子供たちが争うことを望む親はありません。
また相続で争うと、兄弟姉妹の縁は戻らないことが多く、その影響で相続人の子供(従弟)同士の付き合いも無くなります。

そして最大の、悪影響は、親の相続争いを子供たちが見ていることです。
歴史は繰り返します。親が相続争いをすると、その子も、親の相続のとき、相続争いをしてしまいがちです。

相続争いの特徴は、それぞれの相続人は、自分が正しいと思っていることです。
そこに、感情が入ります。
しかし、正しいか否かの正解はあるのでしょうか。
正解が定かでないことを感情的に争うため、争いが長引き、縁が戻らなくなるのです。

相続アドバイザーの役割はんでしょうか。(弁護士以外は、説得・交渉は出来ません)
一つは、間違った知識(法律・税務・不動産に関すること、等々)で遺産の分け方を話し合っていれば、正しい知識に修正することです。

もう一つは、各相続人の話を「丁寧に聴くこと」です。
相続問題を解決する答えは、相続人の心の中にあります。
そこに気が付いてもらい、未来志向で話合いをしてもらうために聴くのです。

好んで争っている人はいません。
丁寧に聴くことが、解決の糸口を見出してくれます。