逆境は
神の恩寵的試練なり。
[ 森信三 一日一語 ] より
そう思えるかどうかですね。


逆境は
神の恩寵的試練なり。
[ 森信三 一日一語 ] より
そう思えるかどうかですね。
相続アドバイザーの役割は「相続人を幸せにすること」。
私が毎月通っている相続塾の塾長の言葉です。今回は塾長が昨年12月2講話された「円満相続の考え方と秘訣」からです。
相続は親から財産が貰えるのに、何故、揉めるのか。
このシンプルな疑問に対する答えは、
「親の財産をもらうのは当たり前だと思っている。
だから感謝の気持ちが出てこない。
そのため、譲ることが出来ないため揉めてしまう」
親から生前に贈与してもらう時は感謝しますが、相続の時は貰うのが当たり前になってしまいます。そして他の兄弟が自分より多く貰うと、感謝どころか、不平不満となり、譲るどころか、奪い合うようになります。
揉めるもう一つの原因が、相続に対する正しい知識を持っていなことです。間違った知識を基に話合いを行うため、感情的になり相続争いになってしまうのです。
相続争いを防ぐ方法は
「相続を法律問題にしないこと」そして「正しい知識で話合いをすること」です。
一律にしか判断できない「法律」で、多様な家族問題を解決することは出来ません。(もちろん法律は大切です)一旦法律を頭から外して、相続人にとって何が大切かを考えることが重要です。幸せになるための本質が見えてくるからです。
子供たちを争わせようと思い財産を遺している親はいません。
相続争いの本質は、子供の頃、おやつが多い少ないと喧嘩したのと同じです。その兄弟喧嘩が相続争いになり、兄弟の縁が切れてしまう。こんな愚かなことはありません。
相続人自身が、このことに気が付かねばなりません。
そして相続アドバイザーの役割は、兄弟喧嘩を相続争いにせずに、幸せに導くことです。
役割を果たすため、本質を見抜くための目を養い、相続人を幸せに導くための人間力を高めなければなりません。
日々、一歩一歩の積み重ねが欠かせない所以です。
人が亡くなるとその瞬間に何の手続きをすることなく遺産は法定相続分で相続人に所有権が移ります。そして未分割共有となります。これを各相続人の確定した財産にするための話し合いが遺産分割協議です。相続人全員が合意したならどんな分け方をしても有効です。
相続は財産を「棚ボタ」でもらえるのだから有り難い話です。本来なら相続人は幸せになるはずです。また、幸せにならなければなりません。
ところが幸せになるべき相続で幸せになれない人がいます。これはいったい「なぜ」でしょう。この仕事にかかわって、最初に感じた単純にして最大の疑問でした。
「チコちゃんに叱られる」はNHKの人気番組です。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」この言葉は流行語大賞にもノミネートされました。
この5歳の天才女児に単純にして最大の疑問を振ってみましょう。
チコちゃん「幸せになるべき相続で、幸せになれない人がいるのはなぜ」。チコちゃんの質問に岡村さんもゲストも答えられません。相続人に聞いてみても分かりません。だがチコちゃんは知っています。
チコちゃんの答えは「相続で幸せになれない人は、親の財産をもらうのは当たり前だと思っている。感謝の気持ちがないからである。」
くわしく教えてくださるのは「心の相続」を提唱し、数多くの実践コンサルティングから独自の理念を創り上げた野口賢次さんです。
野口「さすがチコちゃんだね。わずか5歳で相続の本質を知っているとは恐れいりました。譲った人が幸せになれる。これは確信できる事実です。感謝の気持ちがあれば譲ることができます。“感謝の気持ちと譲る心の大切さ”この気持ちと心が相続人を幸せにします。
争って得た財産や、感謝なくして相続した財産は、重みのない泡銭になってしまいます。人は泡銭では幸せにはなれません。
ご先祖様や親から預かってきた財産は相続人に伝えていくべき大切な
財産です。しかし、その財産のために争ったり、自分や相続人の大切な人生が振り回されてしまったら意味がありません。
一番大切なのは、財産を持っている人や受け継ぐ人の人生そのものです。その人生に役立つ財産であってこそはじめて意味があります。
たとえ少なくても相続できた財産に有り難いと心から感謝し、自分の人生観や価値観にもとづき、心にゆとりある人生を楽しみ、その相(すがた)を次の世代に伝えていく、こうした考えこそ本来の相続の姿です。
“ありがとう”の語源は“有り難い”です。“ある”ということが“難しい”つまり“ある”ということがなかなか無いことなのに“ある”のです。それは幸せなことです。だから“ありがとう”なのです。
“ある”のが当然と思っていることは“有り難い”の正反対です。だからありがとうの反対語は“当たり前”なのです。
相続で幸せになれない人は、親の財産をもらうのは当たり前と思っています。感謝の気持ちがありません。これは相続争いをする人の共通点です。だから幸せになれないのです。」
チコちゃんは感謝して譲ることができるかな?
「心願」とは、人が内奥ふかく秘められている「願い」であり、
如何なる方向にむかってこの自己を捧げるべきか・・・
と思い悩んだあげくのはて、
ついに自己の献身の方向をつかんだ人の心的状態といってよい。
[ 森信三 一日一語 ] より
どの方向に向かうか
大切です。
人間の甘さとは、
自分を実際以上に買いかぶることであり、
さらには他人の真価も、
正当に評価できないということであろう。
[ 森信三 一日一語 ] より
そのままを評価すればいいのに。
低く評価したり。
高く評価したり。
真に生き甲斐のある人生の生き方とは、
つねに自己に与えられているマイナス面を、
プラスに反転させて生きることである。
[ 森信三 一日一語 ] より
マイナス面を受け止め、プラスに反転する。
心の持ち方が重要です。
玄米とみそ汁を主とする生活の簡素化は、
今日のように時代にこそその意義は深い。
それは、資本主義機構に対する自己防衛的意味をもつ一種の消極的抵抗だからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
生活の簡素化。
必要かもしれません。
「物質的に繁栄すると、とかく人間の心はゆるむ。」
これまた「宇宙の大法」の一顕現であり実証である。
[ 森信三 一日一語 ] より
そのとおりですね。
日本民族の世界観は、一口にいえば「神ながら」である。
神ながらとは、民族生命の原始無限流動の展開をいう。
そしてこれが、明治維新まで儒仏の文化を摂取し溶融したが、
ついで維新以後は、西欧文化の摂取を容易ならしめてきた根源力である。
[ 森信三 一日一語 ] より
神国日本の所以です。
神から与えれた力を活かすことです。
それぞれが合理的判断の下、利己的に行動し、非協力状態になってしまった結果、誰にとってもデメリットになってしまうことを示唆したモデルです。
ある共有の牧草地があり、5人の村人がそれぞれ20頭ずつ羊を飼っています。ここには羊100頭分の牧草しかありません。また、この羊は1頭100万円で取引されますが、羊が1頭この牧草地に増えると、餌となる牧草が減り、栄養不足のため99万円になります。以後、1頭増える度に、1万円ずつ取引価格は下がっていきます。
村人の一人Aが、自分の利益を高めたいと考え1頭羊を増やしました。結果、村人Aは2079万円の利益を得ました(羊21頭×99万円)。しかし他4人の村人は、1980万円と取引高が減りました(羊20頭×99万円)。
それを見た他の4人の村人も利益を高めたいと考え、1頭羊を増やしました。
結果、羊は5頭増え、一人当たり1995万円(羊21頭×95万円)となってしまいました
適正な頭数100頭のときに受け取れる利益2000万円(羊20頭×100万円)より少なくなってしまったのです。
さらに皆が頭数を増やしたため、牧草地は荒れ果て使えなくなってしまいました。
周りと協力すれば誰にとってもいい結果であったものが、自らの利益追求図ろうとしたため、最終的には誰にとっても悪い結果になってしまうことを意味したモデルです。
このモデルが環境問題に引用されています。
世界のいたる所で、個々の利益を優先し環境が破壊されています。その結果、世界全体が自然災害の脅威にさらされています。
家族でも見られます。その象徴が相続争いです。
兄弟の一人がたくさん財産をもらおうとします。(羊を増やそうとする)
そして他の兄弟も、たくさんもらおうとします。(皆が羊を増やそうとする)
結果、相続争いを行い、裁判を行い、費用・時間を費やします。そして心身は疲れ果てます。(羊の価格の低下)
加えて、兄弟姉妹の縁がきれてしまいます。(牧草地が荒れ果て使えなくなる)
円満に分ければ、相続した財産で皆が幸せになれるのに、逆に不幸になっていきます。
国、企業、個人、皆が陥る悲劇です。出来れば防ぎたいものです。