この世における辛酸不如意・苦労等を、
すべて前世における負い目の返済だと思えたら、
やがては消えてゆく。
だが、これがむつかしい。
[ 森信三 一日一語 ] より
前世の返済。
来世につけを残さないようにしたいですね。


この世における辛酸不如意・苦労等を、
すべて前世における負い目の返済だと思えたら、
やがては消えてゆく。
だが、これがむつかしい。
[ 森信三 一日一語 ] より
前世の返済。
来世につけを残さないようにしたいですね。
障害のある子を持つ親の心配事に対する解決方法が書かれた本です。自分が死んだ後、この子はどうやって生活していくのだろう。心配事はつきません。
様々な制度の説明が書かれていますが、本の最後に書かれている言葉は
「いざとなったら、なんとかなる」。
悩み心配している気持ちは、子供に伝わり不安にさせます。それよりも明るくしていた方が得です。
「いざとなったら、なんとかなる」んですから。
しかし「なんとかなる」ためにやっておかなければならないことがあります。
それは、地域とつながっておくことです。そして最低限の準備をしておくことです。
日本の社会は障害者に対する様々な制度を用意しています。様々な制度の中で、子供にあった制度を選んであげること(選択すること)が大事です。
制度の細かい内容を知るのは大変なことです。しかし、地域とつながっていれば、地域の支援者が子供に合った制度に結び付けてくれます。
最低限の準備とは、
地域の支援者につなげるための子供の情報をまとめておく。
親がなくなった後の、子の生活のシュミレーションをしてみる。
いくらお金を貯めたら大丈夫なのかを考えるより、どの制度を使えば生活出来るのかを知っておくことが大切です。
これらの準備のために知っておくべき事がこの本には書かれています。
しかし本の内容をしっかりと理解するのは大変です。無理せず出来る範囲でやれば大丈夫です。あとは地域とつながっていれば、援助してくれます
地域とのつながりが大事なのは障害がある子を持つ世帯だけではありません。
超高齢化社会で独居高齢者・夫婦二人高齢者世帯が急増しています。気が付かないうちに、意思能力が衰え、生活苦に陥る世帯も増えています。
防止策の第一歩は、上記と同様、地域とつながることです。
「結婚とは自分と一番相性の悪い人が一緒になることです。だから永平寺に3年いくより、よっぽど修行になりますよ。相性の悪い人にめぐりあったら、この人と結婚するんだなあ~、おれは修行をするんだと思えばいいのです。」これは斉藤一人さんの名言です。
結婚とは人生最大の修行かも知れませんね。修行の辛さに耐えかねて途中でやめてしまう人もいます。が、この修行は一度始めたら生涯続ける覚悟が必要です。まして自分が選んだ道ならなおさらです。
個人情報などの理由で今は公開されていませんが、斉藤一人さんは全国長者番付の常連です。すでに金メダル、銀メダル、銅メダルを勝ちとっています。しかもすべてが事業所得です。イチローもすごいが、一人さんもすごいです。
全国長者番付一位とは、日本で一番税金を払っている人、ある意味では社会に貢献していることになります。
利益があがると、やたら節税を指導する先生や、税金を払いたがらない経営者がいます。どうせ税金に取られるなら、経費になるからと節税目的の生命保険に入ったり、まだ使える車を買いかえたり、分相応な社員旅行を行ったり、目先の節税に走る人がいます。
不必要な経費を使い利益を圧縮したら会社にお金は残っていきません。
税金を払うから会社にお金が残るのです。この積み重ねた内部留保が会社の底力となり非常時の兵糧となります。
「ツイてる ツイてる」は、一人さんがいつも口にしている言葉です。
何ごとも必要あって起こること、だからありがたいこと、何があっても「ツイてる ツイてる」です。
ながい人生には運の悪いできごとや、不幸なできごとは必ずやってきます。一人さんはそんな時でも、「ツイてる ツイてる」気がつけば億万長者です。「ツイてる ツイてる」はマイナスをプラス思考にかえてしまう「心のおまじない」です。
遺産相続は、時には恨み辛みが生じる最たるものです。辛い思いをした当事者としては、恨むな、恨むなと言われても恨みたくなるのは人情です。相手を恨めば、また自分に還りエンドレステープのごとく続きます。恨みは自分から断ち切る必要があります。
江戸時代は「仇討免許状」があれば、主君や親の恨みは堂々と晴らすことができました。相手にも返り討ちは認められていましたが、仇討の仇討は禁じられており、恨みの連鎖を防いでいたのです。
ある相続で後妻さんが、遺留分減殺請求を受けました。幼い先妻の3人の子を、我が子のように愛情を持って育て立派に成人させた人です。そのなかの1人から「恩を仇で返す」まさかの遺留分減殺請求です。
継母の恩を忘れなぜ遺留分減殺請求などしたのでしょうか。いずれ自分の愚かさに気づき生涯悔やむことでしょう。
後妻さんに会うたびに、恨むな、恨むなと言い続けてきました。1年が過ぎたころ「野口さんに言われるので、そう思えるようになり気持ちが楽になりました。」とお礼を言われました。恨み辛みが消えたとき不運が幸運に転じツキに恵まれます。
世の中の事はすべてが一長一短で、両方良いことはない。
哲学の最終的帰結も、
宇宙間の万物は、すべて絶大なる動的平衡(調和)によって保たれている・・・
という一事だといってよい。
[ 森信三 一日一語 ] より
一長一短。
調和が大切ですね。
石が分かるということは、
物がわかり出した一徴標といってもよい。
というのは、
相対界を離れた証拠ともいえるからである。
[ 森信三 一日一語 ] より
相対界
比較のない世界なのでしょう。
美術品の場合、倦きがこないということが良否の基準となる。
つまり倦きがこないとは、
作品に人為の計らいがないせいで、
それだけ天に通じる趣きがあるといえよう。
同時にこれは、ひとり芸術品だけでなく、
人間一般にも通じることでしょう。
[ 森信三 一日一語 ] より
人為の計らいがない。
そのままの人ということでしょうか。
心はみえないから、
まず見える躰の方から押さえてかからねばならぬ。
それ故心を正そうとしたら、
先づ躰を正し物を整えることから始めねばならぬ。
クツをそろえること一つが、
いかに重大な意味をもつか分からぬような人間は、論ずるに足りない。
[ 森信三 一日一語 ] より
「躾」大切ですね。
真人と真人とが結ばれねばならぬ。
現在わたくしが最も努力しているのは、
縁のある真人同士を結ぶことです。
[ 森信三 一日一語 ] より
この役割を果たせる人を師に持っている人は幸せです。
「義務を先にして、娯楽を後にする」・・・
たったこの一事だけでも真に守り通せたら、
一かどの人間になれよう。
[ 森信三 一日一語 ] より
その通りだと思います。
「食べないから死ぬんじゃないんだよ。死が近づいているから食べないんだよ」
老衰という症状では、自然の麻酔がかかります。徐々に食べられなくなって、最後は水分も栄養も全く受け付けなくなり、眠って眠って、苦痛もなく旅立たれます。
石飛幸三さんの「穏やかな死のために」(さくら舎)という著書からです。
石飛さんは約半世紀の外科医を経て特別養護老人ホーム(以下特養という)の常勤医となり、医療・介護という両面から人生の終末期の在り方を提言されている方です。
「医療というのは、必要なときに行われるべきものである」と言われています。
老衰という症状で病院へ行くと、治療が行われ、下っていく命を伸ばそうとします。それが必要なことなのでしょうか。
胃瘻を付けて延命措置をすることが当たり前だった時代。医療を受けず、死を迎えることがタブ―視されていました。しかし、延命はされますが、本人にとって幸せかどうか皆が疑問に思っていました。今でこそ、胃瘻を付ける人は少なくなりましたが、老衰で下っていく命に、延命のための医療は続いています。
石飛さんは特養の常勤医の役割を「この人に医療は必要か、医療はこの人のためになるか」を判断することだと言われています。
これ以上の医療は本人を苦しめるだけだと見極め、医療の差し控えや中止を切り出す役割です。その方の生活を毎日みていて、医療がわかる常勤医だから出来ることです。
眠っている人を、食事の時間だからと起こし、必要な量を無理に食べさせるのでなく、起きた時に、お腹がすいていれば食べてもらう。空腹が食欲の最大のスパイスになります。食べなくなることは体の中を片付け、余計なものを捨てて身を軽くしていくことなのです。老衰に約束されている穏やかな「死」を迎えるための準備なのです。
特養で見取りをされる方が増えています。
病院は病気を治す場所であり、その人らしい最期を迎える場所とは違うことの理解が広がってきているからだと思います。
死を先に延ばすことでなく、その人の「今」を穏やかに生かしてあげる。
それが「命」を看取る者の役割だと思いました。