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(私事で恐縮ですが、)明治40年12月生まれの母が100歳になり、国と都と市から表彰状が届いた。
昭和24年、母が40歳の時に父が亡くなった。
末っ子の私は生後9ヶ月だった。
これといった資産は何もなかった。
物のない時代に女手ひとつで8人の子供たちを育ててくれた。
生命保険の外交員(いわゆる保険のおばちゃん)の仕事を77歳まで続けた。
子供心に母の苦労を見てきた。
苦労したご褒美の長
寿なのだと思う。
認知症が少しずつ進んでいるが、ありがたいことにしっかりしている。
それでも一人にはできない。
70歳代・60歳代の兄や姉が交代で母が住むマンシ
ョンに通っている。
母はデイ・ケアやショート・ステイを楽しみにしている。
「きょうは何をしてきたの?」と聞いても覚えていないが。
私も時おり母のもとに顔を出す。
「よく来てくれたなあ」と私に向かって手を合わせる。
手を握って涙を流す。
そして、「会社は大丈夫か?」「子供たちは元気か?」と聞く。
何度も何度もくり返し聞く。
「さっきも言ったでしょ」とは言えない。
同じ返事を何度もくり返す。
食事は作れないが、母がご飯をよそい、ポットからお茶もいれてくれる。
そして「これも食べろ」「もっと食べろ」と。昔のままである。
何歳になっても、母親がしみついている。
その母の口ぐせが、
「みんなが良くしてくれるのでありがたい。どうかみんなに迷惑をかけずにコロッと逝きたいよ。」何度も聞かされるので参った。
以前はその言葉を聞かされるのがつらかった。
しかし、100歳が近づくにつれ「大丈夫、その通りになるよ。だからそれまでは元気でいようね。」と答え、髪が薄くなった母の頭を撫でる。
気丈だった頃の母の口ぐせは、
「お父様が守ってくれている。うちには何にもないけど、子供達が多いのが財産だ。」
わが子や孫に囲まれる認知症の母を見て、「その通りだな」と思える歳に私もなってきた。
大切なのは物や金じゃないことを100歳の母が教えてくれている。
(2007.12.5)
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